承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という願望であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。(by ウィキペディア)
小学生の頃、担任の先生が「自由勉強」という名のシステムを作った。
自由勉強とは、どんな教科でも良いので自宅で勉強したことを指す言葉でした。
同時に生徒にはすごろくのような紙が渡され、自由勉強をした翌日に
先生に自由勉強した内容を見せ、その量によって先生がスタンプをそのすごろくシートに
押してくれるというものだった。
誰が先にゴールにたどり着けるか。。。
生徒たちは夢中になってスタンプ欲しさに自由勉強という名の予習・復習をした。
全員の生徒ではなかったと思うけど、私は漏れなく夢中でスタンプを集めた生徒のうちの一人だった。
実際にクラスに1~2人はいた勉強のできる子とトップを張り合うくらいに自由勉強をしていた。
それは大体、算数のドリルを復習したり、予習したり、
すると算数の授業で時間制限を設けてドリルを解くことが毎時間あったのだけど、
自由勉強で予習していた私はいつも時間内に全ての問題を解き、答え合わせも
毎回ほぼトップだった。
お陰で算数だけはクラスで1,2位を争う成績だった。
でも自分はスタンプを誰よりも集めて先生に褒められることが嬉しかったんだと思う。
私にとって「自由勉強」とはもはや勉強ではなく、「ゲーム」のようなものでした。
最近職場で仕事を頑張っていると、ふとそんな小学校時代の自分と今の自分が重なる事がある。
私にとっての承認欲求は、「先生や上司に他の人たちより認められたい」
というものみたいだと最近気づいた。
これが自分が上司でいるのではダメなのだ。
自分と同じ立場の人たちがいて、その中で優秀だと認められる事が嬉しいのだと思う。
つくづく自分の欲求が小学生の時から成長していないのかと呆れるが、
でもそのお陰でここまでやってこれたのだとも思う。
承認欲求と言えば、近頃は自分の豪華な生活をSNSで”SHOW OFF”することが問題視されていますよね。
私の知り合いでもそういう人たちがいますが、私を含め皆、「ある部分で」自信がないのだろう。
「承認されたい」=「自分は凄いと思われたい」=「好かれたい」という事だと思います。
自分の努力や成果に結びつく承認欲求はいいと思いますが、能力以上の欲求を持つことは
自分を苦しめて追い詰め、決して良い結果にはならないでしょう。
大ベストセラーである名著「嫌われる勇気」は、タイトルが過激で誤解されやすいけれど
実際は承認欲求を持ちすぎて自分を偽ったり苦しんだりせず
承認欲求を解放して「自分を周囲から好いてもらいたい」というObsession(強迫観念のような)から解放される
=「嫌われる(好かれない)勇気を持とう」
という話なんですよね(私はそう理解しました)
つくづくアドラーは奥深い。
そんな状況に自分がなれたらどれだけ楽だろうか。。。
ただ思うのは、上司から認められたいという欲求がなければ、自分はここまで
仕事に没頭できただろうか。。。
私にとって今の仕事の業務も、小学生の時と同じような「ゲーム感覚」がある。
どれだけ早く正確にゲーム(書類)をクリア(処理)できるか、みたいなw
最近の自分は「ブランドロゴ」や「豪華な食事」をSNSに上げることは
逆に恥ずかしくてなくなったけど、
仕事での成果を上司に認められたいという承認欲求はまだまだ健在で、
小学生の頃の自分と今の自分は繋がっているんだなーとつくづく思うのでした。
と言いつつ、先日ご馳走になった牡蠣とウニの炊き込みご飯の写真をここで上げてみたりしてw
(SNSには投稿してないですよw)